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 さまざまな理由から、このことを書くかどうか悩みました。ところが本誌のS編集長は、私にこう言いました。「いくら全てを仮名にしても真実は真実として伝わってきます。そしてなにより、読者の皆さんに我々が相手にしているのは自然だということを再認識していただくためにも、ぜひとも書いていただきたい」
 その言葉に勇気づけられ、私は恥をさらすことを決心しました。タイトルからわかるとおり、私は黒潮流れる離島で約10mの高波にさらわれ、2時間以上も海の上を漂い、死と向い合いました。書く以上は、その時の心情までをも含めて著したいと思っています。

痛恨の大遅刻

 予定した釣り場はA島周辺の磯。何度も通っているので、主だった磯はよく知っています。ただ今回は天候と海況が少々不安でした。前々日より吹き始めた強い北東風の影響で前日は6mの波。普段なら絶対行かないというより、3mで船が出なくなるところです。
 しかし当日は西風が入って、波は徐々に収まり2mくらいまでに落ちそうだとの予報。船長も朝は若干波は高そうだけど、だんだんと収まっていくだろうとおっしゃっていたので、決行することにしました。
 同行者はベテラン釣り師のK氏。ふたりとも仕事の都合で出発が遅れ、港に着いたのは出船時刻の数分前。すでに何人かの釣り人は船に乗り込んでおり、B渡船は我々待ちのよう。大急ぎで支度をし、忘れ物のチェックもそこそこに船に飛び乗りましたが、他の船より出船を遅らせてしまいました。
 A島の周辺は思った以上にすごいウネリ。しかしいずれ収まってくるのだから、それまでは安全なところに乗せてもらおう。そして波が収まったら磯替えをさせてもらおう。そう考えていましたが、その考えは少々甘かったようです。船頭は浮かぬ表情でこう言いました。「昨日と変わんないくらいのウネリだよ…」渡礁は困難を極めました。波落ち(船が波の一番高いところから一番低いところまで下がった状態)が3m以上もあり、なかなか渡せません。近くにいる他の船も同じような状態で、何人かは渡礁させているものの苦労しています。
 それでも何とか全ての釣り人を地方の磯に渡し終わり、最後は私たちふたりだけが残りました。船頭は磯の様子を見て、ここはどうだいと訊いてきました。そこは二段になっている磯で、下の段は海から4〜5メートルの高さですが、上の段は海面から7〜8mはあります。ただ背後は山なので、よじ登ることはできても一気に駆け上がることは不可能。もっとも、かなりの高場所ですから、波は足元近くまで来ることはあっても、上まで這い上がって来ることはありません。
 船長にOKを出してすぐさま渡礁。下の段は濡れていたので、荷物は上の段の一番高いところに。さすがにそこは全く濡れておらず、少しの間、潮と風の状況を見ることにしました。波はかぶらないとはいえ、風は正面からまともに吹きつけます。ウネリは正面左からやって来るので、どうしても視界に入ってしまい、かなりの恐怖心が湧いてきます。

惨劇の始まり

 沖を見ながらゆっくりとコマセを作っていると、時折、大きな波が向かってきます。大きな波のときは下の段は完全にかぶっており、その波が磯の壁をかなりの高さまで這い上がってきます。
 「結構上がって来るね」
 「なかなか凄いですね」
 いま考えると暢気な会話ですが、実際、いつもよりちょっぴり大きい波という程度でした。やがて私も準備ができ釣り開始。10分くらい経った頃、大きな波が向かってきたのでK氏に報告。しかし這い上がってきた波にK氏の下半身はビチョビチョ。荷物をまとめ直してさらに高いところへ置き直しました。
 渡礁から1時間が経とうとしていた頃、エサ取りが出てきました。仕掛けも上手い具合に馴染んでいます。そろそろ一発来そうなので、気合を入れて仕掛けを打ち返します。もちろん、波も気になるので沖を見ながら…。
 ところが波は収まるどころか、かえって高くなってきた感じさえあります。時折、波は上の段まで這い上がってきて、足元を濡らしていきます。やがて風が強くなったのか、それまではたまにしか来なかった大きなウネリが頻繁に来るようになってきました。そしてそのうち、今までにないくらい大きなウネリが目に飛び込んできました。
 デカイ!映画のスクリーンのような波。見たこともない大きさです。その波がさらに大きさを増しながらこちらに迫ってきます。  「デカイ、デカイよ!!」
 K氏に向かって叫ぶ私。K氏は後ろの壁に張り付いていました。波が10mくらいに迫ったときには、目の前はすべて水の壁。その瞬間、私は波に背を向けて逃げました。
 頭の上を通過した波が目の前ではじけ、岩に手をかけた私に滝のように落ちてきます。体は地面にたたきつけられ、そのまま物凄い力で引っ張られます。岩からはがされた私は頭を下にして後ろに倒れました。そのまま私は海へと引きずり込まれたのです。
意外に冷静な自分
 「あ〜あ、やっちゃった。もしかしたら死んじゃうかもしれないな」
 落ちて行きながら思いました。頭上を見ると真っ白なサラシ。いつも上からしか見ていないものを初めて下から見ながらも、なかなか浮いていかないものなんだなぁと妙な感心をしていました。
 1分くらいは経ったでしょうか。ようやく海面に顔が出ました。磯からは20mくらい離れています。磯の上にはK氏。私は最大限の声で叫びました。
 「携帯!船〜っ!」
 何度も何度も叫びますが、K氏はオロオロしているだけで電話をかける様子がありません。後で聞いたところ、携帯電話を車の中に忘れてきたとのことです。やがてK氏は磯笛をピーピー吹き始めました。そして玉網に白いタオルを巻いて振っています。それを見て私自身がしなくてはならないことに気付きました。
 何度となく参加した海防訓練と、海上安全指導員の訓練を受けていた成果でしょう。まずはブーツを脱ぎ捨て(意外と簡単に脱げました)フローティングベストの股ヒモをチェックし、オモリ類など重量のあるものを全て捨てました。
 さらに、寒さを全く感じなかったので(水温は19.5度だったとのことです)体に張り付いて邪魔なズボンやシャツも脱ごうかと思いましたが、その時、昔、先輩釣り師から聞いた言葉を思い出しました。
 「俺が何でラクダのシャツを着て、もも引きを穿いているかわかるか?海に落ちた時心臓マヒを起さないためだ。それに、これを着ていると寒くないんだ」
 20年くらい前に聞いた話でしたが、耳元で言ってくれているくらい鮮明に思い出しました。と同時に、石廊崎の磯に通っていた頃、船頭に何度か聞かされた言葉も思い出しました。「ある釣り人が海に落ちて翌日発見されたけど、下半身をサメにやられていたらしい…」
 もしサメが来たら困るので目立つ行動は避けたいと思い、服を脱ぐことを思いとどまりました。ここまでたくさん海水を呑んでいますが、充分に息はできます。落ち着いてはいますが状況は変わりません。
 大きなウネリは、水中に潜ることによって避けられましたが、それ以外が大変でした。沖合を見ていて波が来たと同時に反対側を向けばよいだろうと考えましたが、それは大きな間違い。大きなウネリが来ていない時の海は規則性がなく、一度に三方からウネリが来ます。二方を避けてもあと一方が避けきれず、海水を呑み続ける状態は続きました。
 ウネリに翻弄されながら磯にいるK氏を見て愕然としました。私は流され始めていたのです。
 「助けて、助けて!」
 K氏に向かって連呼します。どうにもならないことはわかっていますが、叫ばずにはいられません。笛を吹き続けるK氏は、山の一番高いところに登り、白いタオルを結んだ玉網を振り続けています。彼のその行為は私にとって凄い励ましでした。
流され続ける…
 今の私にとっては、フローティングベストが一番の頼りですから、ベストの角を目一杯の力で握っていました。そのせいか首のところがヒリヒリし始めました(あとで見たところ皮膚がめくれていました)
 私は腕を上げなくても見られるように、時計は普段からベストに付けています。今回これが本当に助かりました(命に働きかけてくれた時計です)。その時計を見ると、海に落ちてからすでに1時間が経っています。しかし、いつもはうるさいくらいに通る船が、この日に限って1隻も通過しません。
 もうすでに150mは沖に流されました。またしても不安が大きくなってきました。大声で叫んでもK氏には聞こえない所まで流されています。気が付けば私は、妻と子の名前を呼んでいました。お前たちを残して死ぬわけにはいかない。そうだ俺はこんなところで死ぬわけにはいかないんだ。自分に言い聞かせるように家族の名前を呟きます。と、その時、ベストのポケットに携帯電話があることを思い出しました。
 右手だけを使いポケットから携帯を取り出します。しかし表示画面は灰色。何も映っていません。当たり前なのに何度も何度もボタンを押して耳に当てますが、音は聞こえてきません。バカになってしまった携帯電話を海に捨て、これで少しは軽くなったと自分に言い聞かせる、つまらない納得です。海防訓練でフローティングベストを着けているといかに泳ぎにくいか、いかに動けないかがよく分かっているはずなのに、どんどん流されていく自分を少しでも岸に近づけようと足は常に動かし続けていますが、岸から約300m離れました。すでに2時間ほどが経っています。
 この頃になって服を脱ぐことを思いとどまらせてくれた先輩のあの言葉の本当の意味が、はっきりとわかりました。当たり前のことですが、いくら水温が高いといっても体温よりはかなり低いのです。それが証拠に30分前くらい前からずっと震えています。怖いということもありますが、寒くて寒くて仕方がないのです。
 寒さはどうにもしようがありませんが、怖さは克服しなければなりません。大丈夫だ、落ち着くんだと自分に言い聞かせました。しかし、高波が来て海水を目一杯呑み込むと、そんな思いも消し飛んでしまいます。
 その頃に気付いたのですが、時間が経つにつれてフローティングベストの浮力が少しずつ落ちてきたようです。高波が来るたびに私自身がシモっているのです。新しいフローティングベストを着てこれですから、古いものだったら2時間も浮いていられなかったでしょう。
 時計を見ると10時15分、普段なら見回りの船が来る時間なのに、この日に限ってやって来ません。どうしたんだろう?潮が速くなってきた。どんどん流されていく。声が出なくなってきた。寒い。寒い。そしてとうとう最悪の言葉が頭をよぎりました。もうダメかもしれない……。
 もう岸からは500mくらい流されました。そう思った瞬間、エンジン音が聞こえました。近くで聞こえるのですが、波が高くて視野が狭く、その姿は見えません。それでもどんどんエンジンの音は大きくなってきます。その時、波間に白い大きな船が見えました。
 「助けて、助けて!」
 気力を振り絞って私は叫びます。
すごく大きな漁船。漁師さんが出てきて大声で呼びかけてきました。
 「ひとりだけか!」
 「ひとり!」
 「よ〜し、もう大丈夫だ。今、助けてやるからな〜!」
 船にはその漁師さん、ただ一人だけのようで、何度も何度も声をかけつつロープを投げてくれました。そしてロープが目の前に届いた瞬間、手を伸ばしてそれを掴みました。
 「助かった、助かったよ!」
 私は心の中で、自分自身に言い聞かせました。

後日談

 実は助かった後も大変でした。港に戻ってすぐに、風呂に入れてもらったのですが、1時間以上入っていても震えが止まらないくらい体が冷え切っていました。
 それに事故直後は何ともなかったのですが、数日経ってから左足の上部が痛みだしました。病院に行ったところ、内出血を起こしていることがわかり100cc以上も血液を抜かれました。さらに1週間後も同量の血液を抜き、現在も2週間に1回の割合で通院しています。
 またフローティングベストによる首の擦り傷は10日ほどで完治。手にも傷を負っていましたが、これも10日ほどで(ただし傷跡は残るそうです)治りました。
 この事故から2週間後、再びB渡船を利用してA島を訪れました(懲りずによく行くなあと自分でも思います)が、そこで偶然、私を助けてくれた漁師さんに会うことができました。B渡船の人には、あの漁師さんにお礼がしたいので何とか連絡を取ってほしいとお願いしていたのですが、連絡するよりも早く再会できました。その偶然に喜ぶと同時に、精いっぱいのお礼を言わせていただきました。

 あらためて感じたのは携帯電話の重要性。何も通過しない現場では、のろしを上げようが、旗を振ろうが、笛を吹こうが全く役に立ちません。携帯電話は便利な通信機器であると同時に、助けを呼ぶのに最も適した道具の一つなのです。
 それに、フローティングベストはとにかく新しいもので規格に則ったものを着用しなければならないということを実感しました。できれば目立つようにウキと同じ赤か黄色がよいと思います。
 乗船前には時間的な余裕を持つことも大切です。忘れ物がないかどうか、特に自分の身を守るもの(携帯電話、ロープ、ピトン、時計など)を持っているかどうかは必ず確認したいものです。
 そして最も重要なのが、何かあったときにどうするか、これを考えておくことです。そうすればもしものとき、慌てずに対処できる可能性がより一層高くなるはずです。